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認知されていないベーシックインカム

最近、酒の集まりなどでベーシックインカムの話をしたりしてみている。大半の人は顔をしかめるが、一人か二人は面白そうに聞いてくれる。しかし、話してみて分かったのは、この考え方があまり人に知られていないということだ。その話は聞いたことがあるよという人がいない。

財源の問題もあり、ベーシックインカムを何が何でも実現しなくてはいけないとは言えないかもしれないが、しかし、この仕組みについて考えれば考えるほど今の行政のシステムの問題点や直面している困難の理由が見えてくるような気がする。

たとえば、悪名高い年金問題だが、これは年金の記録を管理するという作業そのものの中に非常な困難があるということを示している。ある人の一生の記録を、本人もそれとは確認できない状態で一つの機関で管理するということの困難さだ。掛け金は給料から天引きされるし、預金通帳とは違って自分の積み立てが今いくらなのかも確認できない。したがって、利用者側からのフィードバックがほとんどない仕組みになっていた。そのうえ、大量のひとの記録を処理しなくてはならない。記録は本質的に非常に失われやすい状態だったのだ。

これを、税金から一律に個人に対して基礎年金を給付するという単純な仕組みにしておけば、賭け金の徴収という業務はもともと発生しないしそれに割く人員も不要だ。また、給付の金額が一定なので、掛け金の記録もいらない。つねに単年度で決済されるので、行き場のない膨大な積立金というものも発生しない。基礎年金以上の収入が欲しい場合は、収入のある人は預金や投資で備えることができるし、自分にどれくらいのお金があるのかを知っていることができる。年金の記録漏れなどという事態は発生しようがない。

年金基金の不手際を責める前に、まず、不手際の起こりやすいシステムだったということに注目しないといけないのだ。

また、一般に、なにか問題が起きた時は、現行のシステムに一部変更を加えるという形で対応するのが、まったく新しいシステムを立ち上げるよりは安心だろう。しかし、そのことによるルールの複雑化とそれを管理する事務費の増加は無視できない。変更の数が多ければ多いほど、実施する際の事務的な作業が膨れ上がる。そうして、実際に運営していると変更したくなるような箇所は増える一方だ。システムというものは必然的に肥大化するものなのだ。

大きな政府、小さな政府と言うが、行政の規模についての議論ばかりで、ある行政サービスを行う際のシステムの簡潔性について議論されることはあまりない。

たとえば介護保険だが、利用者が介護保険を受けるときは、ケアマネージャが利用者を訪問し身体機能の細かいチェック、何分立てるか、とか片足立ちができるかとか、数十項目のチェックが行われ、それをまずコンピュータに入力して判定し、その判定を市の福祉課が資料に作成し、その作成した資料をもとに判定委員会でコンピュータの判定に不備はないかを判定して、その人が受けられるサービスの上限を決定している。不正を防ぐために複雑なシステムにしてあるのだとは思うが、そのひとが自分で歩けるのか、食事はどうか、排泄の介護が必要なのか、認知症の程度はどのくらいかぐらいのポイントをケアマネージャがチェックするだけでも同じことができるのはないかと思ったりもする。

オッカムのかみそりではないが、単純にできることは単純にやった方がいいのではないか。

介護保険の例でなくても、行政の仕事には公平性と不正の防止のためシステムが複雑化されることが要求されるのだろう。しかし、複雑なシステムの効率はあまり良くないことが多い。思い切ったシステムの簡素化というアイディアの重要性は、実現不可能と思えるベーシックインカムを議論する過程でよくわかる。

ベーシックインカムを議論することで、そのシステムの簡潔さとの対比で現在の行政システムの問題も見えてくる。マスコミは、行政の無駄の排除をあおりたてるだけでなく、ベーシックインカムの考え方の紹介や、システムが複雑化することによる事務費の増大の問題など、政府がやっていないことについての情報についても国民に紹介していく義務があるのではないだろうか。
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by tnomura9 | 2009-11-13 08:03 | 話のネタ | Comments(0)
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