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行政の無駄について

政府は行政の無駄を削るのに余念がないが、第2次世界大戦前の深刻な不況を再現するきっかけになるのではないかと少々不安だ。

財政の支出は、国内に支出された場合は厳密な意味の支出ではない。その資金は巡り巡って税収となって国へ戻ってくる。財政支出は、資金を国内に供給して経済が潤滑に運営されるのを助ける役割を持っているのだ。心臓から血液が動脈に送り出され、全身を巡って静脈から帰ってくるように、財政支出された資金は市場を巡って国庫へ帰ってくる。その大切なポンプに当たる心臓の力を止めてしまう結果になるのではないかという懸念だ。

行政は利益を獲得する企業とは別のやり方で運営されている。官僚の仕事でよく引き合いに出されるのは、予算を使い切らないと次年度の予算が下りてこなくなるから、年度末には仕事を作ってでも支出を増やすというものだ。私企業ではあり得ない話だが、行政の仕事が利益を生む体質にないので当然の判断なのだ。

行政の収入とは事業の利益ではなく、税金だ。行政の収入は税率を上げることで、簡単に増やすことができる。一人10円の人頭税を課すだけで12億円からの資金が集まる。

それでも国には800兆円の負債があり、国債の利子の支払で歳出のかなりの部分を使っている。本当の支出のカットとはこの利子の支払いの部分をカットすることだ。貨幣は生産物の対価と考えられるが、利子による利益は生産物の増加を意味しない。生産量が全く上がっていないのに、利子による利益だけが発生する仕組みになっている。

利子による利益はその背景に生産量の増加がない。幻の生産量になってしまう。おまけに、現代の利子はほとんどが複利だ。この複利のシステムは恐ろしいもので。米一粒でも倍、倍と増えていくと恐ろしい量になるように、あっという間に、生産量の裏付けのない幻の利益が発生してしまう。

民間企業の場合は、融資によって利子を支払っても生産量が上がれば、幻の利益の裏付けとなる真の生産量は上がっている。しかし、行政の場合はそもそも生産がなされていないのだから、利子はそのまま支出となってしまう。何の行政的な活動が行われなくても、資金の支払いだけが増えていくのだ。それは、本来の業務を圧迫し、税収が変わらないのに行政サービスに使える資金が目減りしていく。

行政は国債という利子を生むシステムから資金を調達すべきではなく、政府発行貨幣による無利子の資金を入手すべきだ。無利子なので、発行された資金はすべて行政のサービスに使用できるし、幻の資金を生む危険性もない。簡単に言うと、ベーシックインカムの全てを政府発行貨幣で賄うのだ。政府の保証があるので、貨幣価値が下がることはないし、国内の経済を刺激して生産された産業の利益の一部は税によって国庫に返ってくる。1年限りで発行されたとしても、その経済的効果は絶大なものがあるだろう。

ベーシックインカムによって、年金の記録や掛金徴収、福祉の審査機構、治安などの機構が一気に簡素化され大幅な事務費削減ができる。官僚機構のシステムの肥大による事務費の増大という真の無駄の排除を行うことができる。

負債が多いから支出を減らせという考え方は、国の経済を自殺させかねない。
by tnomura9 | 2009-11-12 08:05 | Haskell | Comments(0)
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