ギャンブラーが「10回赤が出たから次は絶対黒だ」となけなしの大金をルーレットの黒にかけて負けてしまうという話は小説などで使われそうなネタだが、これをギャンブラーの錯覚というらしい。
数学的には赤が10回続けて出ていようがいまいが、次に赤が出る確率はいつも1/2なのだそうだ。 しかし、数学的にはそうかもしれないが、それは、過去に赤が連続して10回出たということを知っている情報の意味を無視しているのではないだろうか。次の回に持ち金のすべてを賭けた場合はそうなるだろうが、資金を分散して出目の平均に投資した場合は、過去に10回赤が出たという事実を知っているというのは重要な意味を持ってくる。 過去の10回にもお金を賭けていたとしたら、次の回の赤の出目は1/2の確立の重みになるだろうが、実際にはその10回分はお金をかけていないとしたら、次の赤の確率は低くなると考えていいのではないかと思う。もちろんその一回きりにお金をかける場合はやはり、確率は1/2だ、しかし、そのあとの目の平均値にお金をかけた場合その賭けの意味は1/2より小さくなる。 たとえば残りの目に、負けた時はその倍をかけるというマーチンゲイル法を使うと、賭け続けていて一回でも勝てば、儲けが必ず出る。ただ、マーチンゲイル法では掛け金が倍々ゲームで増えていくので、相当の資金を持っていないと続けることができない。この場合に過去に10回赤が出たという情報を知っているということは、勝つまでの回数を節約できたという意味で重要な情報になる。 現実の現象を数学的にモデル化することは大切なことだが、現象を抽象化する場合は必ず捨象という操作が加わるということを忘れてはならない。物事の本質的なものを取り上げてモデル化する際に、本質的ではないとモデル化する人が判断した情報は切り捨てられてしまう。 イラク戦争の時は数学モデルによる作戦の綿密な検討をされて開戦されているようだが、そのモデルにはその後の統治の問題が抜け落ちていたのだろう。物事を抽象化するという作業は非常に強力な効果を持っているが、それに必然的に伴う捨象の意味を過小評価してしまう危険性がある。 ギャンブルに必勝法とは言えなくても有利な賭けのパターンはあるようだ。しかし、マーチンゲイル法で大金をかけて勝っても得られる利益は最初に賭けた小額だけだ。やはり、ギャンブルは割に合わない商売のような気がする。
by tnomura9
| 2009-11-06 07:47
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