民主党が高校の授業料を実質無料化するなど、教育についての機会均等を目指しているのは良いことだと思う。しかし、身近に大学を卒業したのに定職のない若者が多くいるのを見ると、教育の充実がそのまま雇用や産業の競争力につながっていくのか疑問に思ってしまう。
若者が携帯電話を手放さない問題が時々マスコミに取り上げられるが、それは、若者が普通にメールを使えるという識字率の高さを示しているのではないだろうか。字も読めるし計算も普通にやれるし、クラブ活動などの社会活動も十分にやれる若者に職がないのだ。 これは労働力の質の問題より、受け皿に深刻な変化が起きていることを示している。その一端は企業の給与負担の重さだ。これが、企業の業績に強く影響するため、企業は正社員を採用せず、工場を国外に移転する。なんらかの、ベーシックインカムの制度を導入し最低賃金を下げないと、このままでは、日本の雇用情勢と産業競争力がひどく低下していくのは明らかだ。 ベーシックインカムで生活の保証をできれば、労働者の保護は賃金の額ではなく労働条件に標的を置くことができる。介護の労働が重いのは、人員を増やすことができず、労働時間や夜勤の負担が大きくなるからだ。人員を増やすことによる賃金の負担が軽ければ多くの職員を採用することができるので、ワークシェアが進み労働の負担感も減ってくるだろう。しかし、生活費の多くを賃金に頼らざるを得ない現状では賃金を下げると求職者は皆無となる。 ベーシックインカムの財源はどうするのかという議論になるかもしれないが、単純に考えても、工場が一つ海外に移転することによる法人税の落ち込みは大きいだろう。工場を海外で稼働すると言うことは、法人税を海外の国に払うということだ。また、工場移転による失業者の生活保障の支出の増大も大きくなるだろう。 海外への工場の移転は、需要の期待できる場所に工場を置く利点や、資源を利用させてもらえるなどの有利さがあり一概に否定できないが、このまま日本の産業が空洞化した時にどうなるのか恐ろしい気がする。 産業構造も技術革新でますます人手を必要としないものになっていくのではないだろうか。ロボットの展示会でみる動作や処理能力やセンサーの進化をみると工場は全て無人という時代がそう遠くはないのではないかと思ってしまう。雇用の形態を就業から自営業へと転換すべき時がきている。就労支援ではなく起業支援が必要だ。 いずれにしても産業の構造自体が変化していることに制度を対応させていかなければならない。勉強すれば職を獲得できるという時代は終わったのかもしれない。これからの教育は子供に経営のノウハウや経済のリテラシーを身につけさせ、自営業者として成功するための教育に切り替える必要があるだろう。産業の構造の変化に応じた制度の改革は待ったなしだ。
by tnomura9
| 2009-10-15 07:47
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