国家予算

日本の国家予算は約88兆円でそのうち25兆円が社会保障費らしい。こう書くと国家予算の28%を福祉につぎ込んでいるさあ大変だという話になるが、実は、使途を公表していない特別会計が年に200兆円ほどあるようだ。実質の国家予算の3分の2以上はその使い道が公表されていない。

また、医療費が30兆円を超えたとか、健保の赤字が3000億円になったとか新聞記事に書いてある。しかし、これは健保からの高齢者医療への拠出金の負担が大きいためで、本来高齢者医療は税で賄うのがふさわしいのだ。

これらの記事を読むと福祉に歳出を割くのは国の運営を揺るがすものだとの論調がみうけられる。しかし、はたしてそうだろうか。

医療費が多いということでそれを切り詰めると結果的には病人が入院もできない医療崩壊が起きてくる。都会では病院の一つや二つが機能しなくなってもとくに大きな影響がないかもしれないが、地方都市の公的な病院が崩壊すると、たちまち入院する病院も高機能な診療を受ける機会もなくなってしまう。民間の医師は疲弊し、診療所も閉じられればその地域全体の医療は確実に崩壊する。

老人の介護が家庭で余生を送らせるという美名のもとに、家族に押し付けられている。寝たきりの父母を介護するために、主婦や独身の人は職を捨て、社会に参加する機会も奪われ、経済的にも圧迫され、孤立していく。どれもこれも公的な介護の負担金を減らすためだ。

高齢者の預金額は800兆円に達するそうだ。お金はお金として持っていてもただの紙切れだ。それでも、その紙切れをため込まざるを得ないのは、将来に不安があるからだ。いまの制度化下ではいつ自分の生活が破たんするか予期できない。そのために頼りになるのはお金だ。ただの紙切れを一生懸命貯めこませているのは将来の生活の不安を解消するためなのだ。本来なら市場をめぐって経済を活性化させるはずのこれらの資金が単なる紙くずと化して眠ってしまっている。

高校卒業者の半数が就職難だという。これらのひとが、非正規雇用者になっていくと年金や医療保険の支払いもままならなくなる。アルバイトではいつ失職するかもしれない。職がなくなった時、結局は生活保護を申請しなくてはならなくなる。生活保護者の増加は地方公共団体の収支を悪化させ、生活の不安から治安の悪化にもつながっていくかもしれない。

学校間の格差が広がっていくと有利な学歴を身につけさせるために莫大な教育費が必要になる。教育費のために生活のゆとりがなくなり子供は過大な期待を重荷として負わされることになる。学校では、ストレス過剰の子供たちがスケープゴートを見つけていじめ、本来はユニークな能力を開発できたはずの子供が学校へも社会へも出てゆけなくなる。経済的にも大きな打撃だ。

福祉の費用は生産性につながらないため、できるだけ節約しなければならないという発想がこれらの不都合を生み出しているような気がする。生活保護のように、保護か就労かのような二者択一を迫らず、最低所得保障をしてみればどうだろう。そうすれば、公的な保証で生活の保障を受けながら、自立のための方策を模索することができる。当面の生活を支えるための絶望的な労働ではなく、自分の未来を拓くための労働になる。

失職した人に融資や教育をして自営業を立ち上げる援助をしたらどうだろう。訓練を受けさせてもその後の雇用がなければ何の益もない。自己雇用の訓練をして個人事業を持続することができるようにすれば、不況の時の解雇などの生活不安もなくなってくるのではないだろうか。個人事業者が営業をするための情報提供の場を整備するのも効果的だろう。

教育費が全て無料だったら、教育費が出せないために有為な人材が高等教育を断念する必要がなくなる。家計も楽になり、消費も伸びてくるに違いない。

老人の介護をするための施設を思い切って増やしたらどうだろう。それも、不便な山の中などではなく、交通の便の良い町中に作るのだ。家族はいつでもおじいさんやおばあさんに会いに行くことができる。父母を介護するために有能な人がその職をなげうつ必要もなくなる。介護職員の待遇をあげれば雇用の創出にもなってくる。

福祉の費用は直接には生産性につながらないかもしれない。しかし、間接的な国力に与える影響を考えると総体としての生産力を上げる重要な要因になっていくのではないだろうか。もちろん、それが大盤振る舞いの無節操なものになってはいけないだろうが、膨れ上がった福祉の費用を削らなければならないという単純な硬直した発想だけでは、これからの日本が直面する未経験の困難を乗り切ることはできないのではないだろうか。
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by tnomura9 | 2009-09-15 07:18 | 話のネタ | Comments(0)
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