最近は将棋の五手詰を解くのを楽しんでいる。さすがに三手詰のようには解けないが、それでも解答を見つけ出すのにいくつかのポイントがあるのに気づいた。
一つは、王駒が脱出できない方法を探すこと。王駒がそこへ行くとどうしてもその後が詰まなくなってしまう場所がある。とにかく、その脱出点にだけには行かせないような方法を考えると正解が見えてくることがある。 二つ目は、最終的な詰みの形のイメージを作ってみること。問題図から想定される最終的な詰みの形の候補をイメージして、それに到達させるにはどのようにしたらよいかを考えると答えが見えてくるようだ。最終的な詰みの形がはっきりと見えたら、正解を見つけるのは比較的楽だ。 三つ目は、詰みの形にはキーになる駒があること。王駒を詰ませる場合には、直接的に王駒を攻撃する駒とそれをサポートする駒の二つが必要だ。重要なのは後のほうのサポートする駒のほうで、このキーになる駒は正解までにあまり動かないことが多い。このキーになる駒を発見できると、最終的な詰みの形のイメージが形作りやすくなる。 四つ目は似たような形でもちょっとの違いで詰んだり詰まなかったりする場合があること。たとえば、王駒の腹に飛車や竜を打つと決まりになることが多いが、似た形でも一桝空いているだけで詰まなくなってしまう。 五つ目は、取られてはいけない駒を守ること。王手をするときにキーになる駒が王駒や他の駒に取られてしまうことがある。絶対に取られてはいけない駒を守りながら王手をかけるにはどうすればよいかを考えると解答を思いつくことがある。飛車や角で王手をかけながら同時に自分の他の駒に紐をつけるというのはよく見るテクニックだ。 六つ目は、王手をかけた駒がすぐに取られてしまう様に見えても、二重王手なら取られないこと。二重王手をかけられると後手は王駒を逃がすしか方法がなくなる。また、外し王手も動かす駒で直接に王手をするわけではないので見逃しやすい。 七つ目は、他の駒に連絡しておらず孤立しているような駒で、あとの展開からどうしても取れない駒があること。先手側の駒で味方のどの駒にも連絡していないが、後手がそれを取ってしまうと次の先手の手ですぐに詰んでしまう場合がある。そのような駒は後手は取れないので、他の駒と連絡がついているのと同じになる。特にそのような駒で王手をかける可能性は除外して考えることが多いので注意が必要だ。 八つ目は、自分の駒や相手の駒が移動したスペースが重要になる場合を見逃さないこと。問題図からの変化を考えるとき、移動した駒のスペースを見落とすことがある。問題図のイメージが頭の中の変化図に干渉するためだろうが、あるべき空白を見落として解答にたどりつけない場合がある。 先手が自分の駒に連絡をつけながら王手をつないで詰む場合はあまり迷うことはないだろうが、そうでない場合が含まれているため詰め将棋がなかなか解けないのだろう。 全ての指し手の可能性が膨大なので、乾草の中の針を拾うように解答を見つけ出さなければならないのでどうしても選択肢の枝刈りをしなくてはならない。その時に常識的な方法だけを探していては詰将棋の正解にたどりつくことはできない。常識的な考えでは見落としてしまうようなトリックがあるからこそ、魔術でも見ているような正解の手順に驚きを感じるのだろう。 たとえそうであっても、枝刈りの際に何かのパターンを適用するというのは平凡な手でも名手でも同じことのような気がする。ただ、名手の場合は適用するパターンの種類と数が平凡な手よりもかなり多いのではないだろうか。詰将棋に上達するというのは、このような例外的なパターンに習熟するということなのではないかと思う。
by tnomura9
| 2009-07-26 09:17
| 考えるということ
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