漫画『ソムリエール』を読んだら、急にワインのことが知りたくなって、関連の参考書を買った。
ワインを知るには、原料のブドウ別のワインの味を識別できるようにするのが近道だとか、どの土地で作られたのか、風味が、その地方の気候や土の性質や醸造法によっても変わってくることや、醸造家の人となりがワインの特質に強く反映することなど、総論的な話は面白かった。しかし、各地方のワイナリーなどの各論的な話になった時、お手上げになってしまった。覚えることがあまりに多くてとても短期間では理解できないのに気がついたからだ。 知りたいことはワイン以外にも山のようにあるのに、ワインを一通り知るのに膨大な時間と労力がいりそうな気がしてきたのが原因かもしれない。 しかし、思い返すと、ワイン以外にも同じような理由で放り出してしまったことが山のようにある。自分の知識がいずれも入門レベルで底が浅いのはそのためなのではないだろうか。 知識を習得するときにいつも頭に引っかかることがある。それは、この知識を学ぶことが何かの役に立つだろうかということだ。知識を習得するときの労力に見合う成果は得られるのだろうかということ。せっかく苦労して獲得した知識があっという間に陳腐になって役に立たない雑学になってしまうのではないかという恐れがもう一歩踏み込むのを引きとめてしまう。 それとは別に、一つのことを深く理解したいという欲求より、できるだけ広くいろいろなことを知って視野を広げておきたいという気持ちもそうさせるのかもしれない。一つのことを深く知ることによって、視野が狭く偏狭な考え方しかできなくなってしまうのではないかと思ってしまうのだ。だが、その結果が百科事典的な浅く表面的な理解にとどまることになってしまった。 いまさらだが、何か一つ深く学んでいくのもいいのではないかという気がしてきた。それが、何の役に立つというのでもなく、また、どれだけ深く学んでも結局は先人の足跡をたどるだけの旅でしかないかもしれないという侘しさにも耐えて、一つのことに時間を多く割くのもいいかもしれない。 生計を立てるために働くという重荷がそろそろ下ろせそうな時期になったので、無意味なことに時間を十分に使うという楽しみを味わってもいいのではないかという気がする。
by tnomura9
| 2009-07-25 19:00
| 考えるということ
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