素朴集合論のオブジェクトモデル

素朴集合論の世界を集合というオブジェクトの集まりと考えると、素朴集合論をモデル化できる。これを仮に素朴集合論のオブジェクトモデルと呼ぶことにする。

オブジェクトモデルでは素朴集合論の集合や、集合ではない対象(個体)も含めて一括してオブジェクト(対象)としてとらえる。1個のオブジェクトは複数の属性 (property) をもつ。属性の一つはそのオブジェクトの外延であるオブジェクトの集まりだ。集合は、その要素の集まりという外延を持つ。集合オブジェクトは外延にオブジェクトの集まりを持つ。空集合の外延は要素を一つも含まない集合だ。個体の外延は何もない。しかし、空集合と区別するために何もないという nil という値をもつと考えてもよい。

オブジェクトモデルのオブジェクトの集まり全体を Uc (candidate for universe) と呼ぶことにする。Uc は有限のオブジェクトの集まりだ。しかし、オブジェクトはいつでも拡張可能なので、無限集合の任意の要素を扱うことができる。また、無限集合のオブジェクトも考えることができる。この場合無限集合の外延は無限集合なので、Ucに含まれないオブジェクトを含んでいる。

オブジェクトの属性には、外延以外にもいろいろなものを与えることができる。偶数であるとか犬であるとか自分自身を要素として含むとか自由に考えることができる。また、Uc の任意のオブジェクトはこの属性に従って、述語を充足するかどうかで2分できる。x は犬であるという述語に対し、その述語を充足するオブジェクトの集まりと、その述語を充足しないオブジェクトの集まりを、オブジェクトの持つ属性に従って分けることができる。この意味で Uc では排中律が成立する。

オブジェクトモデルでは集合について制限をつける。集合とは Uc の中のオブジェクトの一つでなければならないという制限だ。Uc のオブジェクトが N 個であるとすると、オブジェクトの考えられる集まりの数は 2 ^ N だから N 個のオブジェクトでは Uc の部分集合を全て表現することはできない。Uc のオブジェクトの外延として表現できない Uc の部分集合は集合ではなくクラスと考える。ただし、あるクラスを集合として取り扱いたい場合は、そのクラスを外延とするオブジェクトを Uc に追加して Uc を拡張すればよい。

この集合についての制限は、集合を物の集まりという物(対象)として考える定義からくる。集合を個体と同列に物(オブジェクト)として考えるためには、対象の集まりとは別にそれを表すオブジェクトが必要なためだ。

Uc の要素のオブジェクトについては排中律が成立する。つまり、制限されない内包的定義でオブジェクトの集まりを定義できる。しかしながら、それらの全てが Uc のオブジェクトである集合の外延になるわけではない。Uc には常に集合と定義できないオブジェクトの集まりが存在する。

このモデルの特徴は、オブジェクト指向言語のオブジェクトとして、集合と個体のオブジェクトをプログラム化できることだ。ラッセルのパラドックスをはじめとする、素朴集合論の様々な性質をこのモデルの振る舞いとして表現することができる。また、それをプログラムとして記述することも可能だ。

ラッセルのパラドックスという矛盾を含む素朴集合論はその実体的なモデルを使うことで、なぜそのような矛盾が生じるのか、また、このモデルにどのような制限をつけると数学の基礎となるような集合論を構築できるのかが分かる。

[PR]
# by tnomura9 | 2017-01-15 13:15 | 考えるということ | Trackback | Comments(0)

A proverb is ...

A proverb is the wisdom of many and the wit of one.

これは、イギリスの政治家 Load John Russell の格言で、「ことわざは万人の叡智であり、個人にとっては機知である」という意味だ。短い文だが、文法的に解釈すると結構複雑なことになる。

proverb (ことわざ) は1個、2個と数える事ができるので可算名詞だ。不定冠詞 a がついているので、どのことわざというのではなく、ことわざのうちのどれでも良いが一つを取り上げるという意味だ。従ってこの主語 a proverb は単数なので be 動詞は is が使われる。

wisdom は叡智という抽象的な概念を表す言葉なので抽象名詞である、これはまた不可算名詞でもある。抽象名詞には普通冠詞をつけないが、定冠詞 the がついているのでこれは一般的な叡智ではなく叡智の中でも特定の叡智を指し示すと考えられる。どんな性質かというと of mamy (多数の人の) 叡智である。many は多数の人を指す代名詞なので冠詞はつかない。

and に続いて the wit of one (個人の機知) であるが、文法的には the wisdom of many と同じだ。対句になっているので、a proverb の the wisdom of many という属性と the wit of one という属性が対比されている。wisdom と wit が many と one の対比で使われている。

以上のように文法的に解釈すると、たった1行の文の解釈がなかなか面倒なことになる。文法というルールで英文を分析すると一つの文でも多くの内容を含んでいるとも言えるが、少々わかり辛い。ところが、これは日本語の発想と英語の発想の違いとしてとらえるともう少しわかりやすくなる。それをやってみよう。

最初の A は不定冠詞だが、日本語には冠詞という語がない。つまり、すでにこの冠詞によってものを考えるという英語の考え方と日本語による思考との違いが現れているといえる。a という不定冠詞は1個、2個と数えることのできるものの一つをなんとなく取り上げてみるという感覚がある。日本語にはこのように数えることのできるものの全般という発想がないので訳さないが、英文の発想を理解するためには、この不定冠詞の意味をまず理解しないといけない。つまり、何でもいいが1個、2個と数えることができるものを話題に取り上げていると考えるのだ。

こう考えると a の後は当然可算名詞が来る。不定冠詞なので、可算名詞の集合の一つの要素を取り上げるという意味になる。強いて日本語に訳せば、「あることわざは」というふうになるが、日本語の「ある」という言葉の意味は不定冠詞の場合より定冠詞の the の意味のように特定のものを指す意味合いが強い。この時点で逐語的に英文を日本語の文に変換することが困難になってくる。a proverb という名詞句は「ことわざのどれでも良いがその一つを取り上げると」という意味になる。従ってそれに続く be 動詞は当然 is だ。

the wisdom of many の定冠詞の the も a と同じようにその単語自体に語感という意味がある。a の場合は多くのなかの任意の一つという意味があるが、the の場合は「多くの中の特定のひとつ」という意味があるのだ。

当然 the のあとは可算名詞になるはずだが、wisdom (叡智) は1個、2個と数えられない抽象名詞なので不可算名詞だ。それが the という定冠詞のあとに来るということは wisdom の意味になんらかの制限がかかるはずだ。of many でその予想が当たっているのが分かる。many には冠詞がついていないが、それは代名詞だからだ。代名詞の働きは、何かを指し示すという抽象的な作用だが、この場合の many は多くの人を指し示している。

and という接続詞には、A と B というような A と B を単純に対等に繋ぐ意味もあるが、A と同時に Bであるというような同時性を表す意味もある。上の格言では a proverb が the wisdom of many ではあるが、しかし、それと同時に the wit of one でもあるという意味に考えることもできる。この場合、the wisdom of many であることは確かなのだが、同時に the wit of one でもあるのだという、後者を強調しているように見える。

まとめると、a proverb ということわざのひとつをとりあげて、それは the wisdom of many つまり万人の叡智だが、しかし、同時に個人の機知 the wit of one として活用することができると言っているのが分かる。

英文法を学習するときに、可算名詞や不可算名詞、不定冠詞や定冠詞など日本語にない単語の性質が現れてくると、なんでこんな面倒なものを覚えないといけないのだろうか、意味が通ればいいじゃないかと思いがちだ。しかし、この複雑な文法は英語と日本語の発想の違いを端的に表しているのだ。

したがって、英文を日本語に翻訳するときは、英文の現象の切り取り方とその意味を知りつつ、同様の現象を適切に日本語で表現するという2重の作業が要求される。

こう考えてくると、ディープラーニングによるパターン認識だけで英語と日本語の本質的な思考方法の違いを吸収することができるのだろうかと疑問に感じる。本当に有効な機械翻訳のためには、世界の現象に対する英語と日本語の切り取り方の違いを取り入れたアルゴリズムを開発する必要があるような気がする。

[PR]
# by tnomura9 | 2017-01-09 23:04 | 考えるということ | Trackback | Comments(0)

I like dogs. と I like a dog.

"I like dogs." は犬一般が好きだという意味。"I like a dog." は一般にはこういう言い方をしないが、親にペットショップに連れて行かれてどの動物が欲しいか聞かれたときに "I like a dog." という言い方はできるらしい。

翻訳というのは英語の文章をそれと等価な日本語の文章に変換することだが、その意味の単位は文法と単語というよりは、文そのものと考えたほうがわかりやすいのではないだろうか。文はそれを構成する単語の相互関係を含めた全体として一つの意味を持っている。翻訳のときの単位としては単語よりも文に注目したほうがうまく訳せるような気がする。

自動翻訳の場合も文を意味の単位とするアルゴリズムを取ったほうが、良い訳文を得られるのではないだろうか。

"I like dogs." means that you like dogs in general. "I like a dog." seems not to be correct usage, but when asked which animal you want by your parents being taken to a pet shop, you can say "I like a dog."

Translation is to convert an English document into a Japanese document equivalent to that, but it may be easier by focusing that a unit of that meaning is a sentence rather than grammar and words. A sentence has more stable meaning as a whole than that of words constituting it. As a unit of translation, sentences rather than words should be considered.

Even in the case of automatic translation, good translations would be obtained by taking an algorithm that uses sentences as units of meanings.

[PR]
# by tnomura9 | 2017-01-06 07:30 | 考えるということ | Trackback | Comments(0)

昔々あるところに

「昔々あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました」という文を Google 翻訳に翻訳させ、訳文の英語を今度は日本語に翻訳させ、その日本語をまた英訳させるということを繰り返してみた。

昔々あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました
Once upon a time there lived an old man and an old woman

Once upon a time there lived an old man and an old woman
かつて、老人と老婆が住んでいました

かつて、老人と老婆が住んでいました
Once there lived an old man and an old woman

Once there lived an old man and an old woman
かつて老人と老人が住んでいた

かつて老人と老人が住んでいた
Once the old man and the old man lived

Once the old man and the old man lived
一度老人と老人が住んでいたら

日本語と英語の対が何処かで収束して安定するのを期待していたが、次第に文の情報が抜け落ちていく結果になった。このあたりが、パターンマッチを学習させるだけのディープラーニングの限界ではないのだろうか。文の意味を理解して、それを翻訳するためには、ディープラーニングだけではない別の情報処理の方法が必要になってくるような気がする。

おそらく、文章を読んで理解するという情報処理にはパターンマッチ以外の処理方法が関与しているのではないだろうか。Google 翻訳では学習過程で内部的な中間言語を作り出したということだが、文字配列のパターンから抽出した中間言語と、文を読んで作り上げるイメージとは異なるもののような気がする。人間は日本語の文章を中間言語に翻訳するのではなく、日本語の文書が表す内容のモデルを作成しているようにみえる。

したがって、日本語のマニュアルなどを英文に翻訳しようと思ったら、日本語の文章のほうを工夫して、逐語的に英訳しても英文らしくなるようにすると、変換効率が上がる気がする。その場合、日本語の原文のほうが変な日本語になってしまうが、単語や熟語の検索を機械翻訳が担ってくれるので、翻訳の作業が随分楽になるのではないだろうか。

[PR]
# by tnomura9 | 2017-01-05 07:32 | 考えるということ | Trackback | Comments(0)

CANDLE炉と溶融シリコンの光熱電変換を組み合わせる。

以前にこのブログで CANDLE 炉溶融シリコンベースの光熱電変換の記事を書いたが、この2つを組み合わせたらどうなるのだろうかと考えた。

CANDLE炉の利点は安全に核燃料を燃やし熱量を発生することだ。しかし、この熱を電気に変換するための機構がタービンを使う方法では構造が複雑になりすぎる。

溶融シリコンによる光熱電変換では熱と光を直接電気に変えることができるので構造が簡単になる。

この2つを結びつけたら構造が簡単で安全性の高い原子力発電が実現できるのではないだろうか。軽水炉の使用済み燃料棒はそのままでは放射性廃棄物だが、CANDLE炉や東芝の4Sの原理を使えばそのままエネルギーとして再利用できる。資源不足と廃棄物の処理が同時にできてしまう。

しかし、これらの新型炉は冷却用の媒体に扱いの難しい溶融ナトリウムを使う必要がある。これを安全な溶融シリコンに置き換えて、さらに熱光電変換で発電すれば、機構の簡素化と安全性の向上を一挙に達成できるのではないだろうか。

素人が思いついたことなので非現実的なのかもしれないが。この方法だと非常に小型の原子力発電機を作ることができる。4Sの欠点はあまり大型化できないことだが、それを逆手に取れば、非常にコンパクトでどこにでも持ち歩け、燃料の補給が数年は不要な原子力発電機を作ることも可能だ。

[PR]
# by tnomura9 | 2017-01-05 00:47 | 話のネタ | Trackback | Comments(0)

思考の道具としてのAI

Google翻訳を使って、AIとの付き合い方を探ってみた。今の時点では機械翻訳にしても、完全に自動化できるということろまでは行っていないようだ。人間がAIに職を奪われてしまうのはかなり先のことの様だ。むしろワードプロセッサーがそうだったように、AIのアプリケーションは人間の能力を広げてくれる道具という位置づけがふさわしいようだ。

機械翻訳を利用することで、著者は自分のアイディアを違った角度から眺めることができる。この違った角度からの観点というのは思索にとっては重要な要件なので、これからもますます、個人的な思考活動にとっても、AIは重要になってくるだろう。

Using Google translation, I tried to explore how to get along with AI. At this time, even machine translation seems not to be said fully automated. Maybe it is quite a while before human beings are deprived of their jobs by AI. Rather, like word processors, AI applications looks suitable as tools that extend human capabilities.

By using machine translation, authors can view their ideas from a different angle. Since the perspective from this different angle is an important requirement for thinking, AI will become more and more important for personal thinking activities from now on.
[PR]
# by tnomura9 | 2017-01-04 18:48 | 考えるということ | Trackback | Comments(0)

The best way to predict the future is to invent it

英語らしい英語の文例について記憶するためには、心躍る文を見つけることだ。アラン・ケイの次の言葉を読むと気持ちが高まるだろう。

The best way to predict the future is to invent it.

この言葉が発せられた経緯については、FUTURUS というサイトの


という記事に詳しい。こういう文を記憶するのは苦痛ではないし、応用範囲も広い。名言には単に英語の知識を増やす以上の価値がある。


To remember good English example sentences, the sentences should be amazing ones. Reading the next words of Alan Kay will make you feel inspired.

"The best way to predict the future is to invent it."

Regarding the circumstances in which this word was issued, on the site called FUTURUS

"The most reliable way to predict the future is to invent it ~ Alan · Kei [Scientist's Wisdom vol.01]"

It is not painful to memorize such a sentence, and its application range is also wide. Famous words are worth more than simply increasing the knowledge of English.


[PR]
# by tnomura9 | 2017-01-03 19:00 | 考えるということ | Trackback | Comments(0)

Oxford Dictionaries

英文らしい英文を書くには、単語の用例をたくさん検索して、自分の意図に合致する例文を真似するしかない。Oxford Dictionariesというサイトでは豊富な例文を見つけることができる。しかしながら、多量の例文を読みこなすのが大変だが。

この記事はGoogle翻訳に直に記入して訳文がどうなるかを見ながら書いている。意味の通る英文にするには、日本語の文章をそれに合わせないといけないのに気がついた。結局のところ、日本語の発想と英語の発想の違いなのだろう。

日本語の文章を作成するときも、それを英訳するつもりなのか、日本語として自分の考えを記述するつもりなのかを分けて考えたほうがいいのかもしれない。

ちなみに、この記事の英訳には一切手をいれていない。

To write English sentences like English, you have to search a lot of examples of words and imitate example sentences that match your intention. On the site Oxford Dictionaries you can find a wealth of example sentences. However, it is hard to read lots of example sentences.

I am writing this article by directly filling in Google Translate and watching what the translation will be. To make it meaningful English text, I noticed that Japanese sentences had to be matched to it. After all, it is probably the difference between the idea of Japanese and the idea of English.

When preparing a Japanese sentence, it may be better to think about whether to translate it into English or whether to describe your own idea as Japanese.

By the way, I do not put any hands on English translation of this article.


[PR]
# by tnomura9 | 2017-01-03 06:07 | 考えるということ | Trackback | Comments(0)

バックグラウンド

Google 翻訳の翻訳結果がディープラーニングを使うようになってから随分文章らしくはなってきたがまだまだ変な文章を作成してくる。これは、ディープラーニングだけでは自動翻訳の精度を上げる限界のような物があるかもしれないということを示している。

処方薬の服用法の「1回2錠1日3回服用」という文を Googld 翻訳で翻訳できなかったが、英語圏の人でも医療と関係ない人には適切な表現としては理解されていなかった。翻訳された文章が適切な英語であるかどうかは書き手や受け手の背景の状況に依存しているからだ。

技術的な文章でも分かりにくいものは、背景となる知識がかなり要求されている場合が多い。それは、その文書に基礎知識がいちいち記述されていないという意味だけではない。その文書の記述が、背景となる知識の文脈の中で理解されなければならないからだ。

表に現れる表現の意味は表に現れていない文脈に依存している。

従って、学習や授業の際にはこのバックグラウンドを意識したやり方が必要なのではないだろうか。個々の用語や概念はその用語が使われる文脈と一緒に説明される必要がある。回り道のようだが、結局はそのほうが効率の良い知識の獲得につながるだろう。

Although the translated result of Google translation improved greatly since deep learning has been utilized for it, it still creates strange sentences frequently. This indicates that there may be some limit to increase the accuracy of automatic translation by deep learning alone.

Google translation could not translate the phrase "take two tablets three times a day" in Japanese to the English phrase, but even the correct translate was not understood by an English speaking person who was not used to medical treatment. Whether the translated text is in proper English or not depends on the background situation of the writer or the reader.

In the same way, technical texts that are difficult to understand are often requires background knowledge. That does not just mean that the basic knowledge is not described in those documents, but It is because the description of the document must be understood in the context of the background knowledge.

The meaning of the expression front depends on the context not appearing in the expression.

Therefore, I think that it is necessary to take this background-conscious approach in learning. Individual terms and concepts need to be explained together with the context in which the term is used. It seems like a detour, but in the long run it will lead to more efficient knowledge acquisition.

[PR]
# by tnomura9 | 2017-01-02 17:34 | 考えるということ | Trackback | Comments(0)

1回2錠1日3回服用

「1回2錠1日3回服用」を Google 翻訳で翻訳すると"1 tablet 2 tablets 3 times a day" になってしまった。

そこで、1回2錠1日3回服用を直接 Google 検索したら「薬局での英語」というサイトで、

Take two tablets three times a day after every meals.

と紹介してあった。なるほどと思ったが、英米で普通に使われているのかどうかが気になったので、今度は Google 検索で "Take two tablets three times a day" で検索したところ誰かが YAHOO! ANSWERS で、

What does '2 tablets 3 times a day mean?'

と質問していた。

英語が母国語の人でも医療に慣れていないと意味がわからないと感じるのが面白かった。日本語の文章をそれらしい英語に訳すためには、単語や文法の知識だけではなくその英文が使われる背景も知っている必要があるようだ。それには実際に外国で生活してそこで働いたり、学校で勉強したり、英語が母国語の友人を作ったり、大量の英語の本を読んだりしないといけないのだろうけれど億劫だ。

ちなみに、上の質問のベストアンサーは、

it means 6 tablets total per day. there should be a comma so it reads:

2 tablets, 3 times a day

だった。


英文に翻訳してみた。Google 翻訳の訳文を元に手を入れてみたが、どのくらい英文として読めるのかは知る由もない。

I tried to translate Japanese phrase "1kai 2 jou 1 niti 3 kai hukuyou", that means "Take 2 tablets 3 times a day", by Google translation. But the result was "1 tablet 2 tablets 3 times a day".

So, I searched that Japanese phrase by Google search directly, then I found the phrase below on the site "English at pharmacy"

Take two tablets three times a day after every meals.

Although, I was a little bit concerned about whether it is commonly used in the U.S. So, this time, I searched for "Take two tablets three times a day" on Google search and found someone was asking on YAHOO! ANSWERS,

What does '2 tablets 3 times a day mean?'

It was interesting that even native English speakers do not understand the meaning if they are not used to medical treatment. In order to translate Japanese sentences into such good English, it seems necessary to know not only the knowledge of words and grammar but also the background to use that English sentence. To do that, you actually have to live in a foreign country, work there, study in the school, make English friends in their mother tongue, or read a large volume of English books, but those are impossible in my situation.

By the way, the best answer for the above question was,

It means 6 tablets total per day. There should be a comma so it reads:

2 tablets, 3 times a day


[PR]
# by tnomura9 | 2017-01-02 08:08 | 考えるということ | Trackback | Comments(0)